転勤手当では解決できない背景 なぜ働き手は転勤を断るのか?
2026年10月6日
みずほ総合研究所 ヒューマンキャピタルコンサルティング部
竹内 誠也
※みずほ総合研究所はみずほ銀行内の組織の名称です。
転勤を拒む人が増えている
企業が転勤人材の確保に悩んでいる。企業の人事部の方と話すと「転勤がある企業という理由で求職者から避けられる」「転勤を打診したが拒まれた」「転勤手当を手厚くしたが、それでも転勤者からの不満がなくならない」といった転勤を敬遠する働き手に関する悩みをよく聞く。実際、「『転勤』に関する調査レポート」*1を見ると6割近くが「今後、転勤の辞令が出た場合、退職を検討するきっかけになる」と回答するなど、労働者が転勤を避ける様子が見られる。
なぜ、転勤は拒まれるのだろうか?転勤を通じたキャリア形成意欲の低下、ワークライフバランス意識の高まりなど、働き手の価値観の変化を原因と考える主張も見られるが、「価値観の変化」への対応として場当たり的に人事施策を考えると対応を誤る。「転勤手当を増額した」「勤務地限定制度を導入・拡充した」という企業もみられるが、本当にそれは有効な打ち手になっているのだろうか?
転勤が拒まれる背景は社会構造の変化に起因するものだ。この構造を捉えて施策を検討しなければ的外れになる。
転勤制度は会社や社員に何をもたらすのか?
転勤制度とは、企業が人材育成、適材適所の人員配置、拠点運営上の必要性などを理由に、社員への転居を伴う勤務地の変更を命じる仕組みである。家族帯同での転居が難しい場合には家族との別居(単身赴任)も発生し、社員の生活への影響が大きい仕組みでもある。
そもそも、なぜ企業は転勤制度を設けるのか。理由としてまず挙げられるものは、本社以外の地域の拠点への人員配置を柔軟に行えることだ。その他には、幅広い経験付与を通じた人材育成を行うこと、また、特定の就業場所への固定化・マンネリ化を防止することも理由として挙げられる。
では、働き手目線のメリットは何だろうか。大きなメリットの1つは報酬の増加だろう。報酬の増加と言えば転勤手当等による直接的なものが思い当たるが、それだけではない。「転勤をすることがエリートコースの要件」のように(明文化されているかは別として)転勤することが昇格要件となっていることや、転勤をすると同時に上位役職に就くことができることにより、昇格・昇進といったキャリアアップを通じて報酬の増加につながってきた。また、複数拠点での業務を通じて、豊富な経験を得ることで業務を複眼的に捉えることができ、人脈を築くこともできるため、人事評価にもつながりやすい。もちろん、転勤をすることで海外駐在などキャリアの選択肢も広がる。
一方で、先に述べた通り、転勤制度は社員に生活基盤の変更をもたらし、場合によっては家族との別居も招く。将来設計の立てにくさも発生する。このようなデメリットも多くみられる中で、なぜ転勤制度は成り立ってきたのだろうか?
転勤制度を成り立たせた前提が崩れた
そもそも、転勤制度が隆盛した時代と昨今では状況が異なる。かつては、転勤に伴う生活上の負担が現在よりも受け入れられやすい社会的・家庭的条件があり、その中でキャリアや報酬上のメリットが転勤を受け入れるきっかけとして機能していた。現在は、当時と前提が異なっていることに留意が必要だ。
以前は、「男性はサラリーマンとして働き、妻は家事・育児を行う」のように男性は企業内労働を、女性は家庭内労働を行う、性別による“分業”が行われていた。そのため、転勤にあたって、妻の就業環境を考慮する重要性が低かった。また、子供の教育環境を重んじる等の理由で単身赴任を選択したとしても、主に女性が育児に従事しているため、子育てのマンパワーの大きな減少にはつながりにくかった。結果、転勤によるデメリットが相対的に小さく、昇格・昇進や単身赴任手当等による報酬増加のメリットが目立ちやすかった。
一方で、近年では男女平等の労働市場参画を求める社会要請が強くなっており、女性の労働市場での活躍が年々増している。男性と同様の働き方をする女性も増え、共働き世帯が増えている。こうした変化は、転勤による影響の及ぶ範囲を大きく変えている。かつては、転勤を受け入れるかどうかを、主として社員本人のキャリアや報酬との関係で捉えることができた。一方、共働きが一般化した現在では、社員の転勤が配偶者の就業環境、収入、さらには家事・育児負担にも影響する。つまり、転勤は社員本人の問題ではなく、世帯の問題になっている。
まず、夫婦のうち一方が転勤を受け入れた際に、転勤先に配偶者も帯同すると、配偶者が転居先で従来と同等の報酬水準を維持できる就業環境を確保できるとは限らない。もちろん、配偶者の転勤に合わせて勤務地を変更できる会社に勤めていることや、士業など転居先でも同等の労働条件の仕事を見つけられる場合も考えられるが、多くはないだろう。結果、転勤手当等が支給されても、世帯年収では減額になるということが起こり得る。
【例】夫の年収500万円 妻の年収400万円の家庭で夫に転勤が発生した場合
(転勤により、夫はキャリアアップ+転勤手当支給、妻は退職)
かといって、単身赴任を行うと、家庭内労働が一方に偏ってしわ寄せが生じ、結果、配偶者が従来と同様の働き方ができないという状況を招く。
また、夫婦共働きになることで、夫婦双方が仕事に費やす時間や責任が増える一方、家庭内労働の量は変わらず、双方が相応の家庭内労働を担っている。そのため、転勤によってキャリアアップや収入増が期待できたとしても、それに伴う家庭生活への影響が大きければ、転勤を受け入れることのメリットを感じにくくなる。「夫婦双方が無理なく働ける働き方で、共働きを維持する」ということが合理的な選択肢になりやすい。
こうした背景で、転勤制度における社員目線のメリットが薄れ、デメリットが大きくなっている。これでは、転勤を拒む労働者が増えるのも無理はないだろう。
こうしてみてみると、転勤制度は男女平等の労働市場参画が進む現在の社会環境とは、相性の悪い仕組みになっていると考えられる。
企業の「転勤」への向き合い方は正しいのか?
この状況に対して、企業はどのような対応を行っているか。よくある対応として、転勤関連手当の増額や勤務地限定制度の導入が挙げられる。
1. 転勤関連手当の増額
転勤へのインセンティブを強めるため、転勤手当などの転勤関連手当を増額している企業が一定数見られる。
しかし、多少転勤手当を増額しても、夫婦共働きをやめるコストをそう簡単に補填することはできない。仮に高額な転勤手当を支給しようとすると、能力や役割よりも転勤の有無が処遇に与える影響が大きくなり、社内での人件費配分のバランスを崩してしまう。この対応は、男女平等の労働市場参画という背景に対する本質的な打ち手になっていないだけでなく、人件費の増加、配分の不均衡を招く。
2. 勤務地限定制度の導入
勤務地限定制度を通じて、転勤可否の区分を明確化し、転勤をしたくない社員への安心感を生み出そうとする仕組みも見られる。たしかに、これは「転勤をしない人材」という枠を明示することで、働き手の転勤リスクの軽減につながっている。一方で、転勤をしない区分を設けるということは、裏を返すと、転勤を前提とする区分を設けるということである。勤務地限定制度を導入しても、転勤可能な人材への処遇差を設ける場合には、転勤手当と同様の問題が生じる。かといって、処遇差を設けない場合には、転勤可能な人材の十分なインセンティブにならない。
このように、これらの打ち手は本質的な打ち手とは言い難く、安易に既存の配置・異動の考え方を維持して手当増額で解決を図るのは対症療法に過ぎない。共働きが標準となった社会構造の変化を直視し、地方拠点の現地採用強化による「転勤量の削減」や、短期出張・オンラインツール等を活用した「目的実現に向けた手段の変更」を進め、転勤という仕組みそのものを根本から再設計する必要がある。「転勤を前提としない事業運営」への転換こそが、選ばれる企業となるための本質的な打ち手ではないだろうか。
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