生産性の獲得と感覚の衰退。長年培ってきた「感覚」を失った経営はどうなるのか 生成AI時代の人的資本経営

2026年7月27日

みずほ総合研究所 ヒューマンキャピタルコンサルティング部

藤原 慎朗

※みずほ総合研究所はみずほ銀行内の組織の名称です。

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要旨

生成AIはホワイトカラー業務の生産性を飛躍的に向上させる可能性を持つ。一方で、その恩恵の裏側には見過ごされがちなリスクが存在する。それは、人間が長年の経験を通じて獲得してきた「感覚」の衰退である。本稿では、認知心理学、意思決定研究、組織学習論、企業事例を踏まえながら、AI時代において企業が失う可能性のある能力の本質を考察する。本稿の主張は単純である。AIが代替するのは思考ではない。人間が思考を通じて獲得してきた「感覚」の形成プロセスである。そして、その先に待つ危機とは「仕事の消失」ではなく、AIを使いこなせるが、自ら意思決定できない管理職の大量生産である。企業に求められるのはAI活用人材の育成のみではない。AIを活用しながらも経営・事業に欠かせない「感覚」を維持・強化する人的資本経営への転換である。

1. はじめに

生成AIは知識労働のあり方を根本から変えつつある。調査、分析、提案、文書作成といったホワイトカラー業務は、従来と比較して圧倒的に短時間で実施可能になった。その結果、多くの企業はAI導入による生産性向上に注目している。

この変化は、一過性の業務効率化にとどまらない。経済産業省「2040年の就業構造推計(改訂版)」によれば、人口減少により2040年の就業者数が約6,700万人から約6,300万人へ減少する一方、AI・ロボット等の利活用やリスキリングにより労働需要の効率化が進むと見込まれている*1。つまり、生成AIは単に目の前の仕事を速く処理する補助技術ではなく、人口減少下の就業構造を支える生産要素として位置づけられると捉えるのが自然だ。

ここで見落としてはならないのは、歴史上の技術革新は常に副作用を伴ってきたという事実である。電卓は計算を容易にしたが暗算能力と数値感覚を弱めた。GPSは移動を容易にしたが、道を覚える力と方向感覚を弱めた。スマートフォンは情報取得を容易にしたが、現在集中力低下との関連が議論されている。これらはいずれも、技術が能力を代替したのではなく、「能力形成の機会」を代替した事例である。生成AIについても同様の視点が求められる。

2. 経営者にとって最も重要な能力とは何か

一般に企業では階層が上がるほど求められる能力は変化する。担当者は知識と手順によってタスクをこなし、管理職は分析と論理によって組織を動かし、経営者は洞察と構想そして意思決定によって企業を舵取りしていく。テクニカルスキルを駆使して正解を出していく担当者の役割を代替する生成AIは、企業にとって生産性という多大な効果をもたらすわけだが、果たして経営者への効果はどうか。経営者が向き合うのは、

  • M&Aを行うべきか
  • 次の経営者は誰か
  • 新市場へ参入すべきか
  • 投資すべきタイミングは今か

といった事柄であり、これらには正解が存在しない。だからこそ経営者は、

  • 相場観
  • 違和感
  • 潮目
  • 嗅覚
  • 温度感
  • 人を見る目
  • 危機察知

と呼ばれる能力、つまり感覚を重視する。では、この「感覚」とは何なのか。意思決定研究の知見からその正体を確認する。

3. 感覚とは何か

感覚はしばしば「勘」と誤解される。しかし研究成果は異なる結論を示している。Gary Kleinは消防指揮官、軍事指揮官、救急医療従事者などを対象に研究を行い、熟練者は複数案を比較検討していないことを明らかにした。彼らは状況を見た瞬間にパターン認識を行い、最初に思い浮かんだ行動案を頭の中でシミュレーションし実行している。チェス名人も同様である。熟練者は大量の手を比較しているのではなく、過去の膨大な経験が脳内で圧縮され、「見れば分かる」状態になっているという*2。つまり、感覚とは才能ではなく、経験の圧縮ファイルといえる。

4. なぜ日本企業は強かったのか

1980年代、日本企業は世界市場を席巻した。その理由として人口ボーナス期と高度成長期に適合した企業内の仕組み(終身雇用・年功賃金・企業内労働組合:いわゆる三種の神器)が語られることが多い。しかし本質は別にあると筆者は考える。日本企業の強みの一端は、現場で悩み、現場で失敗し、現場で改善する仕組みにあったのではないか。トヨタ生産方式(TPS)はその象徴といえる。TPSの本質は効率化ではなく、

  • 問題を発見する
  • なぜを繰り返す
  • 改善する

という思考プロセスにある。ソニーのウォークマン開発も、答えのない市場に対して試行錯誤を繰り返した結果生まれた。これらはすべて、感覚を蓄積する組織システムだったと解釈できる*3

5. AIは何を奪うのか

一般には、AIは仕事を奪うと考えられている。しかし本質的に問うべきは、AIが仕事そのものを奪うのか、それとも仕事を通じて経験を積む機会を奪うのか、という点である。例えば若手社員は従来、

  • 情報収集
  • 仮説形成
  • 提案
  • 失敗
  • 修正

を繰り返し、この反復の中で感覚を形成してきた。ところが生成AIは、最初から80点の答えを提示する。短期的には極めて効率的である。しかし長期的には、比較し、失敗し、修正する経験そのものが奪われる。昭和的マネジメントと現代では揶揄されることもあるが、人が試行錯誤を通じて感覚を形成する機会が、組織の中で学習システムとして機能してきた事実は無視できない。

6. 感覚を失った経営はどうなるのか

最も懸念されるのは、企業がAI依存型管理職を大量生産することである。彼らは

  • AIを使える
  • 分析が速い
  • 美しく、整った資料を作成する
  • 情報量が多い

という特徴を持つ。しかし同時に、

  • 人材を見抜けない
  • 危険を察知できない
  • 新市場を構想できない
  • 最終判断ができない

という問題を抱える。表面的には優秀である。しかし経営はできない。優れた経営者には共通点がある。それは、数字や資料が整い、論理的には整合していても「何かがおかしい」と感じる能力である。違和感は経験からしか生まれない。失敗経験を持たないAI依存型管理職は、異常の兆候を見逃す危険がある。

7. 出社回帰が意味するもの

近年Apple、Amazon、JPMorganなどが出社回帰を進めている*4。彼らが懸念しているのは単なるコミュニケーション不足ではないはずだ。経営者が本当に恐れているのは、組織の知的資本再生産機能の低下であろう。若手は、上司が「悩み、失敗し、交渉し、立て直す」姿を見ながら成長する。これはマニュアル化できない。スティーブジョブズが重視した「偶然の出会い」も、本質的には知的摩擦から生まれる学習機会を意味している。

8. 企業への提言

生成AI時代の人的資本経営に向け、以下を提言する。

  • まず自分で考え、仮説を立て、その後AIで検証する。順番を逆にしてはならない。
  • 能力形成の源泉は成功ではない。失敗である。失敗から学べる環境を残すべきである。
  • 答えを教える管理職から、考えさせる管理職へ転換するべきである。
  • 企業は人的資本経営推進において、AI活用率だけではなく、タフアサインメント等の経験を可視化すべきである。

9. 結び

生成AIの発展と活用は今後も加速度的に進んでいくであろう。その際の企業にとって最大のリスクは、AIに答えを求め続けた結果、自ら問いを立て、 違和感を覚え、 責任を持って決断する管理職を育てられなくなることである。短期的には、AIを巧みに活用する企業が競争優位を得るだろう。しかし人口減少下の近未来、2040年の競争優位は「最も感覚を失わなかった企業」によって獲得されるのではないだろうか。

本稿の構成整理、論点抽出、文章作成には生成AIを活用した。査読を除き、構想から脱稿まで3時間。数年前であれば、筆者にとっては複数日の調査と執筆を要した内容である。GPSがそうだったように、スマホがそうだったように、便利さが当たり前になったとき、人は失った能力に気付かない*5。本稿が生成AIにより得るものと失うもの、その両面を考える契機になれば幸いである。

注記

  1. *1
    経済産業省の就業構造推計は、人口減少下でAI等の利活用により労働需要の効率化が進むという推計を示している。
  2. *2
    KleinおよびKahneman & Kleinの研究は、熟練者の直観が経験に基づくパターン認識であるという見解を示している。
  3. *3
    TPS、Nonaka & Takeuchi、Senge等の議論は、現場経験と組織学習が感覚を蓄積する仕組みであるという見解を示している。
  4. *4
    Apple、Amazon、JPMorgan等の出社回帰に関する公表情報は、知的摩擦や学習機会の再評価という文脈を示している。
  5. *5
    Schwartz等の議論は、便利さや選択肢の増加が人の判断・集中・気づきに影響しうるという見解を示している。

参考文献

  1. 1.
    経済産業省経済産業政策局(2026)「2040年の就業構造推計(改訂版)について」。
  2. 2.
    Klein, G. (1998), Sources of Power: How People Make Decisions.
  3. 3.
    Kahneman, D. & Klein, G. (2009), Conditions for Intuitive Expertise: A Failure to Disagree. American Psychologist.
  4. 4.
    Toyota Production System 関連研究。
  5. 5.
    Nonaka, I. & Takeuchi, H. (1995), The Knowledge-Creating Company.
  6. 6.
    Senge, P. (1990), The Fifth Discipline.
  7. 7.
    Apple, Amazon, JPMorgan に関する経営者発言・企業公表資料。
  8. 8.
    Schwartz, B. (2004), The Paradox of Choice.

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