ホワイトカラーの「総フリーランス化」時代に備える 裁量労働制の拡大がもたらしうる組織の解体と予防策
2026年6月11日
みずほ総合研究所 ヒューマンキャピタルコンサルティング部
森田 眞代
※みずほ総合研究所はみずほ銀行内の組織の名称です。
「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」——近時、政治の場で発せられたこの言葉は、労働時間規制をめぐる議論の再燃を象徴するものとして受け止められたように思う。現政権は労働時間規制の緩和を成長戦略の検討課題の一つに位置付け、裁量労働制の対象拡大を打ち出している。2025年11月に新設された日本成長戦略会議のもと、労働市場改革分科会において、裁量労働制を含む各種課題の検討が進められている。*1
もしも、自社の社員の大半が裁量労働制の適用対象になったら、はたして組織はどうなるのだろうか。「社員がより成果志向で働くようになる」「残業代が減る」「労働時間管理が楽になる」——仮にそのような感想を抱いたとしたら、少々危険かもしれない。裁量労働制の拡大は、企業と労働者の関係を根底から覆すパラダイムシフトの予兆であるかもしれず、ホワイトカラー労働者の「フリーランス化」とそれに伴う「組織の解体」を意味する可能性があるからだ。
1. 令和8年、政府と経済界が本気で模索する裁量労働制
裁量労働制といえば、これまで「定額働かせ放題」といったネガティブな文脈で語られることが少なくなかった。2018年の不適切データ問題によって裁量労働制の拡大議論は一時凍結となったうえ*2、2024年の制度改正においては本人同意の必須化や同意撤回手続きが明文化されるなど、労働者を守るための厳格なハードルが設けられることとなった。
ところが、現政権下で労働時間規制の見直しが再び政策課題として浮上した。厚生労働省は2026年7〜8月にかけ、約7年ぶりとなる「裁量労働制に関する実態調査」*3を実施するとしている。2024年改正後の実態把握を目的としたもので、調査結果によっては、裁量労働制拡大論に対して一定の正当性を与えるものになるだろう。
その急先鋒である経団連の動向はというと、裁量労働制の意義を生産性の向上や柔軟で自律的な働き方の実現等に求めたうえで、次の業務を対象業務に追加すべきとの提言*4を行っている。
- 裁量労働制の対象とならない業務が一部混在する業務
- 課題解決型提案業務
- シェアードサービス業務
これは企画業務型裁量労働制の適用範囲を大幅に拡大することを企図したものであり、仮に上記業務がすべて対象とされた場合、企業によっては、自社の社員の相当部分に対して裁量労働制を適用できる可能性がある。専門業務型裁量労働制もあわせれば、管理部門や企画、IT、研究開発、ソリューション営業、プロジェクト推進等、ホワイトカラー領域の多くをカバーできるだろう。
近い将来、ごく限られた企画職や特定の専門職だけでなく、より一般的かつ広範囲の労働者が「裁量」をもって働くことになる——経営者や人事部門は、その前提で組織の未来図を描く必要があるのではないか。
2. 裁量労働制の一般化=「ホワイトカラーのフリーランス化」?
裁量労働制の一般化は、企業と労働者の関係にどのような変化をもたらすだろうか。
そもそも、企業と労働者の関係を法的に解釈すれば、報酬と労務を対価的に交換する双務契約だ。民法上の定義は至ってドライなものである。ただし日本固有の事情として、多くの日本企業は、金銭報酬のみならず「メンバーシップ」を労働者に付与してきた。組織のメンバー(身内)として労働者を迎え入れ、ある種の家父長制的な発想のもと、一生のキャリアの面倒を見て家族ごと保護する。その代わりに何があっても会社の命令に従う忠誠心を求める。いわゆる日本型雇用と呼ばれる社会慣行が存在してきた。
しかし今や、「メンバーシップ」を報酬として求めない労働者が増えているように思える。企業と労働者、特に何らかの希少価値(スキル、経験、若さなど)を持つ“強い”労働者との関係は、急激に希薄かつフラットになっている。彼ら/彼女らは特定の企業の「メンバー」として安住することを重視せず、その希少価値を武器として自ら活躍のフィールドを選んでいく。
そのような変化を裁量労働制が助長する。“強い”労働者は、求められる成果(ミッション)を全うする限り、細部についてとやかく言われることはない。極論、AIを駆使して8時間分の仕事を1時間で終わらせ、残り7時間を休息や自己啓発に充てることも可能だ。満員電車や一斉出社のわずらわしさに縛られず、上司のマイクロマネジメントに囚われず、己と企業を結び付けるものはただミッションと報酬のみ。そうしてより良いフィールドを求め、企業を渡り歩いていく。企業は企業で、その時々の経営上のニーズに応じ、より良い成果を生む人材を求めて社内外の労働市場を探索する。
このような関係は、ある側面では、企業がフリーランスに対して業務委託をする関係と類似する。もちろん、本稿でいう「フリーランス化」とは、雇用契約が業務委託契約に置き換わるという意味ではない。企業と労働者の関係が、メンバーシップや忠誠を基盤とする共同体的な関係から、ミッションや報酬を基盤とする取引的な関係に変質していくという意味だ。そうして企業と労働者は互いに「選び、選ばれる」*5ようになっていく。
3. 裁量労働制とジョブ型の融合により従来型組織が「解体」されうる
筆者は以前、ジョブ型人事マネジメントに関するレポート*6を執筆した中で、①ジョブ型と成果主義は必ずしも一致しないこと、②ジョブ型には人事権の制限を伴うこと、③ジョブ型により組織内に市場原理が持ち込まれうることを指摘した。その上で、すべての企業がジョブ型に移行する必要はなく、各社が自社に適した人事マネジメントを模索するべきだと述べた。
しかしながら裁量労働制の一般化は、多くの企業に対してジョブ型への本格移行を決意させる契機になるかもしれない。裁量労働制を適用するためには、(経団連が企図するような緩和があったとしても)業務の範囲を一定程度明確にしなければならず、そのことはジョブ型と非常に相性が良いからだ。加えて、裁量労働制の下では業務の遂行方法や時間配分を労働者に委ねるため、評価・処遇が成果主義的な運用に傾きやすい。そうなると、本来は概念不一致であるはずのジョブ型と成果主義を、事実上一体不可分のものとしてしまう可能性がある。その結果、これまでの日本企業が培ってきたマネジメント手法を機能不全に陥らせ、従来の組織を解体してしまう恐れすらある。
- 曖昧なプロセス評価の崩壊——裁量とは業務の遂行方法に自由を与えることだ。必然、過程にある努力量や姿勢を細かく測定することは困難になり、評価におけるアウトプットの比重が過度に高まる可能性がある。
- 組織の縦割り化——業務の範囲やアウトプットが重視される以上、マネージャーは部下に対し、極めて高い解像度で「期待する成果」を示さざるをえない。それ自体は悪いことではないが、特定の業務や成果創出に集中するあまり、隣の人の状況に関心を持たない「縦割り」の弊害が生じる可能性がある。
- 労働者間の格差拡大——裁量労働により、高い能力を持ち効率的に業務を遂行できる労働者が恩恵を受けるのに対し、そうでない労働者は時間で成果をカバーしようとして疲弊する。縦割りが進む中では相互フォローも促進されにくい。
- 共同体意識の希薄化——縦割り化や格差拡大が進む上、各労働者が異なる時間で働くためにコミュニケーションの絶対量が減少し、組織の一体感が失われていく。
- 自然発生的な人材育成機能の弱体化——プロセスが評価されず、業務の重なりがもたらす偶発的な学びもなく、同じ時間や価値観を共有する機会も減るとなれば、従来そうした営みの中で自然発生的になされていた人材育成の機能は弱まっていくだろう。短期的な個人成果は見えやすくなる一方で、組織全体の学習能力は痩せ衰えていく。
4. 組織を解体させないための予防策
もっとも、裁量労働制の拡大やジョブ型との一体運用が、直ちに組織の解体を意味するわけではない。問題は、実際にこれらを導入または拡大する企業が、従来の組織に組み込まれていた機能をどのように再構築するかである。具体的には次のような要素について検討する必要があるだろう。
(1)職務の設計
大前提として、職務の範囲や成果(=職務責任)を明確にしなければならない。そしてプロセスに裁量を与える以上、どのような権限やリソースを与えるのか(=職務権限)も明示する必要がある。これらが曖昧なままで業績数値だけを問えば、裁量労働制は無限定な責任の押し付けになる。
(2)学習の設計
学習を偶然に任せてはならない。従来、同じ場所で同じ時間を過ごし、上司や先輩の仕事ぶりを横目で見て覚え、隣の人を手伝う中で前後工程を理解し、雑談の中で偶発的に知識が移転するという、ある種の非効率が学習の源泉となってきた。それらに代えて、部門横断プロジェクト、ナレッジ共有、メンタリング、1on1、業務外交流等の仕掛けを施し、組織・個人・仕事の境界において意図的に接点をつくる必要がある。
(3)協働の設計
裁量的な働き方のもとでも、同僚の状況を気にかけて助ける、互いに承認・賞賛する、組織活動に意欲的に参加するといった行動をできる限り可視化し、組織の習慣として根付かせる工夫が必要になる。(2)で記載した取り組みは協働の促進にも有用だろう。それと同時に、自由と責任は表裏一体であること、個人の自律と個人主義は区別するべきであることを、メッセージとして明確にしておくことも重要だ。
(4) 制度の設計
(1)~(3)をシステムとして担保するのが人事制度だ。どのように成果を把握し、それをどう評価して処遇に結び付けるのか。現場のマネージャーがきちんと制度を運用できるような配慮やトレーニングも必要になる。学習や協働を促すためには、個人の成果だけでなく、チームの成果や組織への貢献、人材育成の取り組みを評価の対象とする方法も考えられる。裁量労働制下で困難となるのは、「長時間頑張っている」「周囲に気を配っているように見える」といった曖昧で情緒的なプロセス評価であり、行動事実を可視化した上でのプロセス評価を工夫して行う余地はあるだろう。
(5)健康の設計
最後に、最も重要なのが健康の確保である。裁量労働制は、うまく機能すれば自律的で柔軟な働き方を可能にし、労働者の創意工夫や高いパフォーマンスを引き出すことができる。しかしそれは、心身の健康が維持されて初めて成り立つ。仮に制度の運用を誤れば、長時間労働を助長し、労働者の健康を害しかねないという点は各所で主張される通りだ。そもそも裁量労働制の適用にあたっては、労働時間の状況の把握や健康・福祉確保措置の実施が求められる上、深夜・休日労働に関する規制も残る。企業が職務を設計する以上、健康確保は企業の責任であるとともに、自社の成長を支える必須条件となるのである。
要するに、裁量労働制は決して、「残業代を減らせる制度」「管理をしなくてよくなる制度」ではない。「優秀な人材に自由を与える制度」とだけ見るのも不十分だ。時間で測れなくなるからこそ、職務、学習、協働、制度、健康等をより精緻に設計することを迫られるのである。
おわりに——「この組織で働く意味」を設計できるか
裁量労働制の拡大は、企業と労働者の関係を、メンバーシップと忠誠を交換する関係から、報酬とミッションを交換する関係へと近づけていく。時間に縛られない。上司の逐一の指示に囚われない。会社にキャリアを預けない。そのような労働者が増える時代に、彼ら/彼女らにとって、なお企業が「組織」である意味が問われているのかもしれない。それは恐らく、個人では得られない学びや挑戦の機会、全体が個の総和を上回る創発の体験、そして、社会や人とつながりたいという根源的な欲求を満たす場であるということではないだろうか。
近い将来、ホワイトカラーの「総フリーランス化」時代が到来するとすれば、組織が解体される危機であるとともに、再構築するチャンスとも捉えられる。経営者や人事部門は、自社が欲してやまない人材が「この組織」で働きたいと思える理由を設計することに尽力する必要があるだろう。
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*1検討状況については厚生労働省Webサイトを参照。本稿執筆現在、労働市場改革分科会は第3回までの議事録および第4回までの資料を確認することができる。裁量労働制に関しては、対象拡大を求める経済界側の意見とそれに反対する労働側の意見が分かれ、学識者からは2024年改正後の状況把握を優先すべき等の見解が示された。現時点で公表されている第4回資料の「とりまとめ(案)」によれば、「柔軟で多様な働き方を含む労働時間法制等に係る政策対応については、夏以降の労働政策審議会において、議論を行う必要がある」としている。
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*2当時の政権は、働き方改革関連法案の中で、企画業務型裁量労働制の対象業務として課題解決型開発提案業務や裁量的にPDCAを回す業務を追加すること等を目指していた。しかし、国会答弁の根拠としていた2013年度労働時間等総合実態調査の結果に多数の異常値が含まれていたことが発覚し、多くの批判を受けたことで、法案から裁量労働制の対象拡大が削除されるに至った。
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*3厚生労働省「裁量労働制に関する実態調査(案)について」(PDF/1,828KB)2026年5月13日。
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*4日本経済団体連合会「裁量労働制の拡充を求める—柔軟で自律的な働き方をさらに広げるために—」 2026年5月19日。なお、現行の企画業務型裁量労働制の対象業務は、①事業の運営に関する事項についての業務であること、②企画、立案、調査および分析の業務であること、③当該業務の性質上これを適切に遂行するにはその遂行の方法を大幅に労働者の裁量にゆだねる必要がある業務であること、④当該業務の遂行の手段および時間配分の決定等に関し、使用者が具体的な指示をしないこととする業務であることの全てを満たす必要がある。あくまで自社の事業運営上の決定が行われるような中枢部門の労働者に適用することを想定しており、非対象業務の混在を予定することや、“他社”の事業運営に関わる業務は許容していないと解釈される。
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*5人材版伊藤レポート経済産業省「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書~人材版伊藤レポート~」2020年(PDF/2,655KB)において、雇用のあり方を「囲い込み型」から「選び、選ばれる関係」へと変革していくべきことが示唆されている。
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*6みずほリサーチ&テクノロジーズ「人口減少時代における人事マネジメントのあり方 ~三位一体の労働市場改革が推進する「ジョブ型」の留意点~」(PDF/3,798KB)2024年。
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