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悩みが消える!“歴史・偉人”の言葉~織田信長の巻~

掲載日:2020年9月28日事業戦略

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「経営者とは孤独である——」と、よくいわれます。実際、立場上、常に様々な決断を迫られている企業経営者は、悩みごとが尽きないことでしょう。そんなリーダーたちのブレイクスルーを実現するためのヒントは、歴史上の偉人から学ぶことができます。
本稿では、戦国の雄・織田信長が残した“言葉”をご紹介します。
強国に囲まれた“尾張”という地から、天下統一へと羽ばたいていった彼の考え方は、現代の企業経営の場においても役立つものばかりです。ぜひ、参考にしてみてください。

「絶対」を疑うことに飛躍のヒントあり

戦国時代を終結させた三英傑の一人・織田信長は、それまでの常識や既成概念を次々と覆しながら天下布武へと突き進んでいったことで知られています。
彼には、その姿を体現する次のような名言があります。

「絶対は絶対にない」

この言葉については、信長が、どのような状況で口にしたかは定かにされていませんが、いかにも彼の行動原理の源だったのだろうと思わせます。
例えば、東海一の弓取りで上洛をめざしていた今川義元を、わずかの寡兵で破る「桶狭間の戦い」は、まさしく「絶対は絶対にない」ことを実践したものだったといえるでしょう。この勝利の結果が、絶対に不可能だと思えることでも、やり方次第では“突破口”があることを、大いに証明しています。

また彼は、経済政策においても、柔軟な姿勢によって「絶対は絶対にない」ことを示しました。
当時は「座」という商工組合があり、寺社や貴族などに金銭を払う代わりに営業や販売の独占権を認めてもらって商売をするのがあたり前で、また、商いをするための「市」も開く場所や日時が決められていたため、好きなところで好きな時間に商売をすることができませんでした。

しかし彼は、商人の自由営業を許した「楽市楽座」を推進して、それまでの常識を取り払い、領国内の決められた範囲の中であれば、誰でも好きなところで商売をしてもよいとしたのです。これが「楽市楽座」で、それまでの「絶対」を覆したのです。
いわば、現在で言う“規制緩和政策”であり、これによって新規参入のハードルが下がり、物流や売買が活性化したことで、信長は莫大な富を得え、それを戦費に回したといわれています。

どの業界や事業分野でも、昔ながらの慣習や、「そうすることが当然」とされているものがあります。もちろん、なかには変えてはいけないものも存在するでしょう。
しかし、それを「絶対」のものだと考えてしまうと、そこで思考は停止してしまいがちです。

だからこそ経営者は、「絶対は絶対にない」という前提で思考を巡らし、変えるべきもの、変えざるべきものを見極める眼を持ちながら、必要であれば果敢に行動に移すことが大切だといえます。
特に、ビジネスの発展やイノベーションを生みだすためには、これが重要となるでしょう。

また、この「絶対は絶対にない」という名言は、「油断は禁物」という教訓にもつながります。
織田信長は、天下統一を目前にしながら、腹心であった明智光秀の謀反によって命を落としました。自らの領地内で、自分の部下によって命が狙われることなど「絶対にない」と、もしかしたら織田信長は油断をしていたのかもしれません。
彼自身の発した言葉の通りに考えなかったことで絶命してしまったことは、なんとも皮肉なものです。

現代においても、ビジネス上で「まさか……」と思うようなことはしばしば起こります。
昨今であれば、新型コロナウイルス感染拡大による世界経済への深刻な影響などが思い浮かぶでしょう。
このような大きな話でなくとも、ちょっとした油断から仕事でミスをすることなど、いくらでもあることです。したがって、経営者に限らず組織を導くリーダーは、「絶対は絶対にない」という前提で発想を巡らし、自分を戒める必要があるのではないでしょうか。

優秀過ぎる人材は、組織を乱す

織田信長といえば、家柄や身分などにはあまりこだわらず、下級武士の次男や三男、はたまた農民であっても、優秀な人材は積極的に登用したことで知られています。ところが、その姿とは矛盾する、次のような名言も残しています。

「組織に貢献してくれるのは、優秀な者よりも能力は並の上だが忠実な者の方だ」

彼の家臣団は多士済々というだけでなく、かつては敵だった者も少なくありません。家臣の筆頭ともいえる重臣、柴田勝家は、かつて信長の弟である信勝に織田家の家督を継がせようと画策して、信長と戦った経歴の持ち主です。

また、信長は他国を従えるにつれて外様といえる部下が増えていき、数々の裏切りにもあっています。義弟である浅井長政をはじめ、摂津一国を任されながら裏切った荒木村重や、一度ならず二度までも信長を裏切った松永弾正など、臣従・信頼した者に命を狙われ、危機に陥っています。
このような経験から、彼は、このような名言を残したのかもしれません。

さらに、優秀過ぎる人材は、先を予測する能力が高く、判断力や決断力、行動力にも優れています。しかしながら、自分に対する自負も高いため、自身の能力が活かしきれていないと感じてしまうと、モチベーションが下がり、ほかに活躍の場を求めるようになりがちです。
つまり、現代であれば、よりやりがいを感じられる会社、より成長できる会社、より給料がもらえる会社を求めて、転職してしまう可能性があるわけです。

企業を経営するうえで、一時的に業績を上げたい、未成熟な事業を軌道に乗せたいなど、一定期間だけ非常に優秀な人材の助けが必要な場面はあります。
しかし、長期的な視点から安定的な企業成長を望むのであれば、組織の要となる人材には、与えられたミッションをやり遂げるほどには優秀で、かつ会社を見限らない忠実な人材を充てるべきだということを、この名言は示唆しているように感じます。

実際、現代のビジネスシーンでも、誰よりも営業成績は優秀だが、組織のことより自分の成績やキャリアを優先して、スタンドプレーに走るような人材、ちょっと目を離すとライバル会社に自分を売り込んだりする人材……を見かけることがあります。
こういった人材への接し方については、「信長的発想」をベースにして、組織づくりを考えていくことが必要かもしれません。

制度や仕組みが機能するかは「人次第」

信長の人材論には、次のようなものもあります。

「人城を頼らば城人を捨てん」

これは、「人が城を頼っても、城は人のために何かをしてくれるわけではない」という意味の言葉です。戦国時代、城を落とすには守備側の3倍以上の兵力が必要といわれ、要所としての城の重要性がしばしば取り上げられました。
しかし、城は単なるモノであって、城自体が攻めてきた兵に対して何かをしてくれるわけではありません。あくまでも、対処するのは戦う人であって、勝てるかどうかは結局のところ“人次第”であるということです。

ビジネスにおいても、「便利なツール」というものが多々あります。例えば、業務効率化を実現してくれるIT技術が注目されていますが、システムを導入するだけで、10人で行っていた業務を1人で行えるようになったり、10時間かかっていた仕事が1時間で終わるようになったりするわけではありません。
つまるところ、システムを使いこなせる人がいるかどうかが重要で、IT技術を導入する際は、オペレーターの育成も同時に行わなければ「宝の持ち腐れ」になってしまうのです。

これは、企業経営におけるあらゆることに共通しています。
様々な制度や仕組みを作ったり、刷新したりしても、導入した意図や背景、活用方法を熟知した人材がいなければ機能しません。
また、太宗な企業理念やビジョン・ミッションを掲げても、社員の間に浸透し、理解されなければ、会社がめざす方向には進んでいかないでしょう。

つまり、新たな何かを取り入れるときは、同時に「人材育成」も行わなければ、望む結果は得られないということを、信長は教えてくれているのです。

このように、歴史上の偉人が残した言葉は、現代においても色あせることなく、悩めるリーダーに“智慧”と“勇気”を提供してくれるといえます。
今後、これらの信長の言葉を、ぜひ、経営の参考にしてみてはいかがでしょうか?

(記事提供元:株式会社プレジデント社 企画編集部)

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