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名経営者の知恵に学ぶ~レイ・クロック編~

掲載日:2023年8月1日 事業戦略

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近年、生産性向上や技術継承といったテーマで語られることの多い「仕組み化」。この発想でビジネスを大成功させた経営者が、70年ほど前に存在しました。マクドナルドを巨大ハンバーガーチェーンへと育てあげたレイ・クロックです。
本稿では、彼がどのようにしてビジネスチャンスを見出したのかを、マクドナルド兄弟との出会いから紐解いていきます。

仕事をかけ持ちしながら、ステップアップしていく

レイ・クロックは、1902年にアメリカのイリノイ州で生まれました。
若い頃は営業をしながら、夜になるとピアニストとしてジャズ演奏で日銭を稼ぐなど、いくつもの仕事をかけ持ちしていたといいます。

そんな彼が初めて手にした小さな成功は、20歳のときに就いた紙コップのセールスでした。
巧みな話術を持っており、営業力に長けていたクロックは、着実に成績をあげていったそうです。この頃に、結婚もしています。

39歳になった彼は、紙コップのセールスをしている際、顧客の一人であるミキサー会社のオーナーから、新開発の5軸式マルチミキサーを見せられたのです。
それは、同時に5つのミルクシェイクをつくれるという優れものでした。

「これは絶対に売れる!」と感じたクロックは、妻の反対を押し切り、ミキサー販売会社を立ち上げて独立。
マルチミキサーを、アメリカ全土で販売する契約を結びました。これが、のちにマクドナルドと大きく関係することになるのです。

結果的に、このマルチミキサー販売は商品力の高さとクロックの営業力によって、成功することとなります。
50歳を超える頃には、経営も順調で、老後をゆったりと過ごせるくらいの蓄えもできていました。

驚きの連続となる、マクドナルド兄弟との出会い

ところが、そんな彼の前に、ミキサー以上に可能性を感じるビジネスチャンスが現れます。
それが、ハンバーガーショップのマクドナルドだったのです。

そのきっかけは、クロックのミキサー販売会社に「マクドナルド兄弟が使っているものと同じミキサーを売ってくれ」という電話が何本もかかってきたこと。
そんなに注目されているマクドナルド兄弟の店とは、一体どのようなものなのか。
興味を持ったクロックは、自ら店舗を訪ねることにします。

マクドナルド兄弟の店は、カリフォルニア州サンバーナディーノ市にありました。
開店前に現地へ到着し、外観など店舗周辺を見て回っても、特に目を引くようなものはないと感じたそうです。

しかし、開店と同時に多くの顧客が来店し、行列を作り始めた様子にクロックは驚愕します。
自らも列に並んで、なぜ並んでまで買うのかを顧客に聞いたそうです。

その答えは、「ハンバーガーの質を考えると割安な15セントという価格設定」「待ち時間の短さ」「チップを要求する店員がいない」というものでした。
そんな話を聞いた後、改めてお店周りを観察してみると、駐車場にゴミは落ちていないし、飲食店のゴミ置き場では当たり前にたかっているハエも見あたらないことに気付きます。

ますます興味をひかれたクロックは、顧客の数が落ち着く時間を見計らって店を訪ね、マクドナルド兄弟をディナーに誘ったそうです。
それは、どのような店舗運営をしているのか、聞き出すためでした。
その内容こそ、クロックをまたも驚かせる、システマティックな運営スタイルだったのです。

まず、メニューはハンバーガーとフライドポテト、ドリンクに限定する。ハンバーガー作りもパティを焼く人、バンズにはさむ人など分業化することで、注文から商品を提供するまでの時間短縮に成功していました。
ドリンクを入れるのは紙コップで、ハンバーガーも紙に包んで提供しているため、どこのレストランにも備えてある食器洗浄機もない。
店内の清掃や、チップを要求しないといった従業員教育も徹底されていました。

このとき既に、現在のマクドナルドに通じるビジネスモデルや経営哲学が、ある程度できあがっていたのです。

再現性の高さに、ビジネスチャンスを見出す

マクドナルド兄弟の話を聞いたクロックは、それまでの飲食店運営と大きく異なるビジネスモデルに対して、チェーン展開がしやすいはずだと直感しました。
そこで、チェーン展開を任せてほしいとマクドナルド兄弟に打診します。

マクドナルド兄弟は、今の店舗で既に十分な利益をあげていたため、最初は難色を示したそうです。
しかし、そこはクロックの巧みな話術と営業力の見せどころ。

出店リスクはすべてクロックが負い、マクドナルド兄弟にはチェーン店における売上の一部が入るという好条件を提示して、説得したといいます。
実はその中には、何をするにもマクドナルド兄弟の許可を仰ぐなど、クロックにとってかなり不利な条件がいくつもあったため、彼はその後、非常に苦労することになってしまうのです。

ただ、そこまでしても、クロックはマクドナルドのチェーン展開に大きな可能性を見出していたのでしょう。
クロックが見出したビジネスチャンスというのは、マクドナルドの仕組み化された運営スタイルでした。
マクドナルド兄弟の創意工夫によって作られた機械によって、作業の多くをカバーできるようになっており、従業員がすべきことも明確、かつ作業が分業化されているためマニュアル化しやすく、“再現性”を非常に高めやすいことが大きなポイントです。

フランチャイズを多店舗展開する場合、最大のネックになるのが、店舗ごとの商品やサービスにおける質のばらつきでしょう。
特に、飲食店の場合、どうしても料理の味は調理人の腕に左右される部分が大きくなり、提供時間や接客も店舗によって差が出やすいのです。

この問題を、マクドナルド兄弟が構築した店舗運営スタイルを磨きあげることで、確実に乗り越えられるとクロックは直感したわけです。

事実、クロックはマクドナルドをフランチャイズ展開する際、メニューをハンバーガー、フライドポテト、ドリンクのテイクアウトのみとすることを徹底し、フランチャイズ店が勝手にメニューを追加・変更することを許しませんでした。
さらに、作業内容はより細かくマニュアル化し、清掃や接客などのルールも厳格に設定したそうです。

また、フランチャイズ加盟店のためだけに、マクドナルドで使用している機器の扱い方などを学ぶことができる「ハンバーガー大学」も設立しています。
これは今でも、学ぶ内容を変えながら、日本マクドナルドの本社内にも存在します。

こうして仕組み化された店舗運営を守るよう、チェーン店を徹底的に教育しました。
当時、店舗運営についてはチェーン店オーナーにある程度任せるケースが多く、メニューだけでなく店舗運営までフランチャイズ化することは珍しかったため、クロックの画期的な手法は、その後のフランチャイズビジネスにおいて踏襲されていくことになります。

実際、クロックの手法を遵守したフランチャイジーが次々と成功を収め、マクドナルドは急拡大。
クロックがその生涯を終えるまでに、約8,000店にまで増えました。

ミキサー販売会社を立ちあげたときも、マクドナルドにチェーン展開を持ちかけたときも、共通している成功の秘訣があります。
それは、ビジネスチャンスを感じたときの行動力や決断力です。これは成功する経営者の条件ともいえるでしょう。

裏切られても手放さない、粘り強さと嗅覚

さらに彼は、もう一つ大事な要素を持っていました。
それは、困難に直面しても諦めず、粘り強く対処する忍耐力と冷静さです。

例えば、マクドナルド兄弟に裏切られたときもそうでした。

クロックはマクドナルドの独占チェーン権を得ているつもりでしたが、マクドナルド兄弟はクロックに一切話すことなく、他の会社にもフランチャイズ権を販売していたのです。
のちにクロックは、マクドナルド兄弟が他社に売ったフランチャイズ権を、その5倍にも及ぶ金額、2万5,000ドルを支払って買い戻しています。

また、クロックは、自身に不利な契約条件によって長く苦しめられていましたが、1961年には270万ドルという巨額を払って、マクドナルド兄弟から、すべての権利を買い取りました。

おそらくクロックの中では、それだけ大きなコストをかけたとしても、その何倍もの利益を生み出すビジネスだという確信があったのでしょう。
決断力や行動力もさることながら、ビジネスの可能性を見抜く嗅覚にも優れていたことがわかります。

おわりに

ここで紹介したクロックの成功物語は、ごく一部にすぎません。
ライバル店が低価格競争を挑んできたときも、1個15セントという金額を下げなかったことや、運営資金不足で倒産の危機に直面したとき、彼の右腕となるハリー・ソナボーンの提案を採用して難局を乗り切ったことなども、大いに参考になるでしょう。

本稿では、特にマクドナルドというビジネスモデルとクロックの出合い、目の付けどころを取りあげました。
ご自身の経営に、ぜひ活かしてみてください。

(記事提供元:株式会社プレジデント社 企画編集部)
※記事内の情報は、本記事執筆時点の情報に基づく内容となります。
※上記の個別の表現については、必ずしもみずほ銀行の見解を示すものではありません。

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