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悩みが消える!“歴史・偉人”の言葉~渋沢栄一の巻~

掲載日:2021年3月22日事業戦略

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2021年大河ドラマ『晴天を衝け』の主人公でもある渋沢栄一は、「日本資本主義の父」と呼ばれ、生涯480社の営利事業に携わりました。そして、その中から、現在の日本を代表する大企業がいくつも生まれています。みずほ銀行は、渋沢栄一が設立にかかわった日本初の銀行「第一国立銀行」が源流でもあります。
本稿では、彼の名言から、現代に通じる、リーダーに求められる経営手法と発想をお伝えします。
ぜひ、参考にしてみてください。

道徳と商売は両立させるべきもの

「日本資本主義の父」、渋沢栄一。彼は、日本初の銀行である第一国立銀行(現みずほ銀行)を始め、生涯にわたって、480社もの営利事業誕生に関わりました。その中からは日本経済を牽引する優良企業がいくつも生まれ、それらの企業は、今も、私たちの生活を支えてくれているといえます。

幕末から明治維新へと続く激動の時代を生きていくことになる渋沢は、1840年に武蔵国、現在の埼玉県深谷市の渋沢家に長男として生まれました。
渋沢家は、「藍玉」という染料の製造販売や養蚕などを手掛ける豪農で、栄一も13~14歳から藍葉の仕入れに出かけ、目利きの確かさを示していたといいます。彼の優れた商売感覚の基礎は、こういった生い立ちによって育まれたものなのでしょう。

しかし、渋沢は生粋の商売人かというと、そうではありません。小さい頃より「論語」を学び、剣術に汗を流し、青年へと成長してからは日本の行く末に思いを巡らして幕末の表舞台へと飛び込んでいったように、士道や道徳、公益を求める視点も備えていました。
奇妙なことに、彼の中では、そういった道徳や公益といったものと商売人の感覚が融合し共存していたのかもしれません。

そのことは、480あまりの営利事業と同時に、600あまりの社会事業にも関わったことから、うかがい知ることができます。例えば、日本赤十字社や一橋大学などの公的機関、教育機関に関わっている他、身寄りのない子供やお年寄りのための施設「養育院」の院長を数十年にわたって務めるなど、慈善事業にも積極的だったのです。
そのような渋沢だからこそ、著書に『論語と算盤』があるように、一見相いれない考え方を融合させた言葉をいくつも生み出したといえます。
『論語と算盤』のうち、「論語」は倫理や道徳、大義といったものを表し、「算盤」は文字通り、商売のことを意味しています。
通常、商売とは自分の利益を追求する活動のことを意味します。しかし、自分の利だけを求める人ばかりでは、社会は壊れてしまいます。だからこそ渋沢は、社会が健全に発展していくためは、道徳と商売のバランスをとることが重要なのだと考えるようになったのでしょう。

また、渋沢は、パリ万国博覧会に出席する徳川慶喜の弟に随行してフランスに渡り、欧州各国を訪問しています。
そのとき、イギリス人に「日本の商人は自分の利ばかり追求するからまともな商売ができない」と言われショックを受けたことが、『論語と算盤』を提唱しようと思い立った契機にもなったといわれています。

さらに、渋沢の考え方は、「道徳経済合一」という言葉でも表現されています。これは、まさしく「道徳と経済は両立させることができる」という考え方で、現在のCSR(企業の社会的責任)や、社会的な課題解決と企業利益の両立をめざすCSV(共通価値の創造)に通じるものがあります。
これらからも、渋沢が見ていたものは、同時代に生きたビジネスリーダーの一歩も二歩も進んだものだったといえるでしょう。

ちなみに、中国の古い言葉には「経世済民」というものがありますが、これは、乱れた世の中を整えて、苦しんでいる民を救うといった意味になります。この言葉の、「経」と「済」の字を合わせた言葉が、「経済」になったといわれています。
経済というと、金儲けやビジネスといった言葉がすぐ頭に浮かぶかもしれませんが、もともとは「民を救うために世を治める」というニュアンスが含まれていて、そのことをよく理解していたのが、渋沢栄一といえるかもしれません。

利より、「道理」を先に立たせるべき

渋沢の言葉には、「論語と算盤」に通じるものとして、「利に喩らず、義に喩る」というものがあります。これは、どのような事業に関わる際も、利益を本位としてはいけないといった意味になります。
つまり、事業を進めるにあたっては、道理上、起こすべき事業であるか、盛んにすべき事業あるかを第一に考え、利損はその次に考えるのだと教える言葉といえます。

事業は、社会の発展に寄与することが大切であり、そのような事業を伸ばしていくことが社会のためになることでしょう。
しかし、利益を第一に考えて、株を所有するのみといった形で事業に関わると、「利益が上がらなければ売却すればいい」と考えてしまいがちです。それでは、社会に必要な事業がいつまでも育ちません。

だからこそ、第一に考えるべきは「道理上、起こすべき事業であること」だと渋沢は言っています。実体経済の伴わない株価の動きや、エグジット目的の起業など、とかくマネーゲームに走りがちな昨今のビジネス界を戒めているかのようです。

さらに渋沢は、「道理上、起こすべき事業」であり、それを「為そうとする人物に信用があれば、資本は集まる」ということを、次のように語っています。

「有望な仕事があるが資本がなくて困るという人がいる。
だがこれは愚痴でしかない。
その仕事が真に有望で、かつその人が真に信用ある人物なら資本ができぬはずがない。
愚痴をこぼすような人は、よしんば資本があっても大いに為す人物ではない」

この考え方は、私たちが日々取り組んでいる仕事にもあてはめることができます。
社会=会社や部署など組織にとって、必要な仕事、意味のある仕事をする際、リーダーに信用があれば、困ったときに誰かが手を差し伸べてくれるものでしょう。
「誰も手伝ってくれない」などと愚痴をこぼしている人は、「業務の必要性」と「信用」のどちらかが欠けているのかもしれません。

森を見ながらも、1本の木を大切に

仕事をするうえでの心がけとして、渋沢は次のように指摘します。

「小事を粗末にするような粗大な人では、所詮大事を成功させることはできない」

これは、どんな些細な仕事でも、それは大きな仕事の一部分であり、それが満足にできなければ、最終的に大きな仕事をやり遂げることはできないといった意味になります。
つまり、時計の小さい針や小さい輪が怠けて働かなかったら大きな針が止まってしまうように、ビッグプロジェクトでも、メンバーの一人がモチベーションを下げていれば、その日に進めるべき全体工程が狂ってしまう、ということにもつながるでしょう。

企業において、若手のうちは、経験を積み、知識を身につけるためにも、一見些細と思える仕事を振られることが多いかもしれません。そんなとき、自分の仕事は必要ないのではないかとやる気を失ったり、会社に必要とされていないなら転職しようと考えたりする人もいます。

しかしリーダーは、組織にいる若手を活かすためにも、頼んだ仕事の意味や、それが業務全体のどの部分に位置する仕事なのか、そして、その仕事を全うすることで最終的にどのような大きな成果が得られるのかを、しっかり伝えていく必要があるといえます。

そうすることによって若手は、近視眼的に任された業務だけをみるのではなく、仕事全体を俯瞰し、自分の果たす役割の大切さに気づき、仕事へのモチベーションを高めるようになっていくはずです。
企業や事業を推進するリーダーならば、最終的に大事を成し遂げるためにも、日頃から小事にもすべからく手抜きをせず、メンバーの一人ひとりのことさえ慮る心がけが必要といえるでしょう。

リーダーとして、事業や経営を考えるとき、そして、管理職として部員を活性化させるとき、渋沢の語った言葉には、学ぶべき多くのものがあるといえます。より良いリーダーになるためにも、これらを自身の糧にして進んでいきたいものです。

(記事提供元/株式会社プレジデント社 企画編集部)

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