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悩みが消える!“歴史・偉人”の言葉~徳川家康の巻~

掲載日:2020年11月16日事業戦略

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徳川家康は、「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」という言葉で、その人となりが説明されるように、まさに、“忍耐”の人でした。
しかし、忍耐を続ける中から、様々な“気づき”を得た家康からは、組織を導くリーダーとして学ぶべき点が多々あります。本稿では彼の名言から、いま必要とされる手法と発想を読み取っていきたいと思います。ぜひ、参考にしてみてください。

過去の良き日々にこだわりすぎては中途半端な策しかできない

徳川家康は、幼少時代に織田や今川の人質として過ごし、三河を治める大名となってからも武田信玄や一向一揆に苦しめられ、数々の苦杯をなめています。
しかし、耐え忍ぶ経験から多くのことを学んだからこそ、天下を統一できただけでなく、260年余りも続く江戸幕府の礎を築くことができたといえるでしょう。そして、その知恵が凝縮されている家康の言葉には、現代の企業経営にも通じる金言がいくつもあります。

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。心に望みおこらば困窮したるときを思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。
勝つことばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり」

これは東照公(家康)の遺訓として伝わっている言葉です。
この中でも「不自由を常と思えば不足なし」という言葉の意味は、「不自由があたり前と思えば、不満を覚えることもない」ということになります。これを、新型コロナウイルスの影響で世の中が大きく変わろうとしている現在の状況にあてはめてみると、別な意味合いが含まれているようにも思います。

今は、密を避けるため、以前はあたり前であったことの多くが制限されるようになったといえるでしょう。例えば、会社の同僚たちと飲食店で食事やお酒を楽しむ機会は減りましたし、ソーシャルディスタンスを確保しなければならないため、コロナ前と比べてスペースあたりの売上も減少しています。外国人観光客の激減で大打撃を受けている業界も少なくありません。

このような状況に苦しんでいる経営者の多くは、早くコロナ前に戻ることを願っていると思います。しかし、ただ期待するだけでは状況は変わりません。もしかしたら、元通りの世の中には戻らないかもしれません。
それでも企業が生き残っていくには、何かしら手を打たなければなりませんが、経営者がコロナ前をいつまでも引きずっていては、現状を冷静に読み解き、新しい世の中につながる“次の一手”を考えつくのは難しいでしょう。コロナ前に戻ることを前提としてしまうと、「その場しのぎ」の中途半端な策しか思いつけないからです。

では、「不自由を常と思えば」ならどうでしょうか。現在置かれている状況があたり前なのだと思えれば、「コロナ前はこうだった」という呪縛から解放されて、「今の状況でできることは何か」を考えられるようになるはずです。
経営者たる者、状況に応じて気持ちを切り替え、前を向いて企業のかじ取りを行わなければならない――この言葉は、そんなことも教えているような気がします。

自分は足りていないと思うからこそ成長できる

また、前述した東照公(家康)遺訓にある「及ばざるは過ぎたるより勝れり」は、論語の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」を、家康なりに解釈した言葉だといわれています。
論語の方は、「度が過ぎることは足りないことと同じくらいよくないこと」といった意味ですが、家康は「足りないことは度が過ぎるよりも優れている」と解釈を変えているのです。その理由は、「足りていない」と思うことで、もっと成長しなければならないというモチベーションが生まれ、常に緊張感を持って様々なことに取り組めるからだと考えたからかもしれません。

家康の周囲には織田信長や豊臣秀吉、武田信玄といった非常に優れた大名がいました。そのため、少しでも気を抜くと自家が滅ぼされてしまう危険を常に感じていたことでしょう。しかし、そのことを単なる不安で終わらせてはいません。
家康は、武田信玄が隣にいることを不幸とはとらえず、油断なく自分を励ます幸運だと捉えていたという逸話があるように、自らを鼓舞する原動力として置かれている状況を活用していたといえます。
また、自身と彼らを比べながら足りていないものが何かを常に分析し、自分や徳川家を強くするため、謙虚に学び続けていたようです。このような姿勢が最終的な勝利をつかめた要因の一つであることは間違いないでしょう。

人間は、少しできるようになると驕り、油断してしまうこともあります。仕事をしていると、その油断から足元をすくわれることがあるかもしれません。また、現代のビジネスでは、スピードと結果を強く求められるため、常に自分を磨いて成長していかなければ、アッという間に取り残されてしまいます。
そうならないためには、現状に満足しないでモチベーション高く、上をめざす気持ちが大切でしょう。「及ばざるは過ぎたるより勝れり」は、そのことを忘れないための良い戒めになるはずです。

部下に媚びるのではなく、惚れさせるのが良いリーダー

家康は、強烈なリーダーシップを発揮した織田信長や豊臣秀吉とは異なり、「三河衆」と呼ばれた強力な譜代の家臣団を組織してのし上がっていった大名だといえるでしょう。そのため、家康の言葉には、現代の組織論やマネジメントにも通ずるものがいくつも存在します。
例えば、次のような一言です。

「多勢は勢ひをたのみ、少数は一つの心に動く」

これは、「人数が多いと数に頼り油断が生じて力を発揮できないが、少数であれば団結力が増して力を発揮できる」という意味です。人が多いとリーダーの目が届きにくいこともあって、「自分がやらなくても誰かがやってくれる」と考える人が少なからず出て、組織としての推進力が落ちてしまいがちになるということでしょう。

それだけではなく、組織を構成するメンバーには、めざすべきゴールを示して、各々の役割も明確にすることが肝要だと伝えているようにも思います。自分のすべきことがはっきりしていれば、誰かがやってくれるといった油断は生じにくくなるからです。

他にもリーダーの心構えを説いた、家康の名言があります。

「愚かなことをいう者があっても、最後まで聴いてやらねばならない。
でなければ、聴くに値することをいう者までもが、発言をしなくなる」

リーダーは、常にチームのメンバーから見られているものです。そのため、メンバーの意見には等しく耳を傾けるべきで、この名言は、それを怠ると「部下の意見を聞かないリーダー」というレッテルをはられて、せっかくの金言を聞く機会すら失してしまうということを意味しています。

また、リーダーと部下との関係性について触れた言葉にはこのようなものもあります。

「大将というのは敬われているようで、たえず家来に落ち度を探られているものである。
恐れられているようで、あなどられ、親しまれているようで憎まれている。
だから大将というのは勉強しなければならないし礼儀をわきまえなければならない」

そして、この言葉に続けて家康は、「家来を禄でつないでも、機嫌をとっても、遠ざけても近づけても、怒らせても油断させても“ならず”……」と言っています。
つまり、肝心なのは、リーダー自らが仕事に対する姿勢や態度、言葉遣い、覚悟を示すことで、「家来(部下)に惚れさせる」ことだというのです。家康は、部下たちに「このリーダーの力になりたい」と思わせることが、苦境にも粘り強く対応できる組織を作る秘訣だと教えてくれているように感じます。

“忍耐”の人、徳川家康が残した名言は、混迷が続く今こそ、しっかりと心に留めて置きたいものといえるでしょう。

(記事提供元:株式会社プレジデント社 企画編集部)

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