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リーダーの悩みを晴らす、「中国古典」の知恵~人を見極め、動かす「韓非子」の教え~

掲載日:2024年1月5日事業戦略

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『韓非子(かんぴし)』は、古代中国の戦国時代、韓という国の思想家で法家でもある韓非が記した20巻55篇からなる思想書です。
本来、人間は利己的な存在であるというドライな人間観から、法律や刑罰を政治の基礎だと説く思想の集大成と分析とも言える内容で、現代でも組織のリーダーが参考にできるエッセンスが多く、愛読する経営者も少なくありません。
「人間は愛情でも義理でも倫理観でもなく、利益によって動くものだ」という冷徹とも思える考えから、本稿で、人を見極め、動かすリーダーにとってのヒントを探っていくことにしましょう。

「法」と「術」の併用による統治の必要性を説く

『韓非子』の“子”とは、韓非に対する敬称でもあり、著書を指し示すときにも使われる語のことです。
韓非の生涯については、司馬遷の『史記』に簡単な記述があるのみで、生年などの詳しい生涯は分かっていません。
韓非は紀元前3世紀、韓王安の子として生まれます。王族でありながら、母親の身分が低かったため、あまり恵まれた境遇ではなかったようです。
幼い頃から吃音があり、弁舌で人を説得することは苦手だったそうですが、文章力に優れており、苦手な弁舌を補って余りあるほどだったといいます。

政治の基礎は厳格な法治主義の励行であると韓非は説き、法(法令)と術(臣下をコントロールする術)を併用する「法術」によって君権を強化することを目指しました。
生まれた国である韓では不遇だった韓非ですが、秦の始皇帝が『韓非子』を愛読していたこともあり、その縁で始皇帝に仕えます。しかし讒訴(ざんそ)によって投獄され、紀元前233年、毒を飲んで自ら命を絶ったといわれています。

『韓非子』の冒頭にあたる「初見秦」という篇には、次のように記されています。

「知らずして言うは不智、知つて言わざるは不忠」

これは、「よく知りもしないで意見を言うのは自分の無知をさらすことであり、知っていながら言わずにいるのは不誠実だ」ということを表しています。
会議などで積極的に発言したり、上司に意見具申をしたりする人もいれば、逆にほとんど発言しない人もいます。
一見、前者の方が評価されそうですが、積極的な発言も、内容をよく理解していなかったり、根拠のないことであればかえって自身の評価を落とすことになりかねません。その発言を周囲が鵜呑みにしてしまうとミスリードにつながり、組織の方向を誤ることにつながります。

また、知っていながら黙っているのも同じです。
例えば、リスクを予見できていながら、そのことを言わずに黙っていては組織の浮沈にかかわります。

メンバーが積極的に発言する組織は活気があるように見えますが、その発言の根拠や合理性などを見極めることが大切です。
発言しない人は、発言後の責任回避や叱責を恐れている場合があります。
気軽に発言できる風土作りも大切なのです。

リーダーが守るべき3つの心構えとは?

また、「三守」という篇では、君主が守るべき3つのことがあると言っています。

「人主に三守有り。三守完きときは則ち国安くして身栄え、三守完からざるときは則ち国危うくして身殆し」

これが完全に守られれば、国は安泰で身は栄えるが、逆に守られなければ国も身も危うくなるというものです。
ではその3つの守るべきこととは何でしょうか。

1.君主が臣下の者から、大臣など高官の失敗や生活の実情などを聞かされた際、君主はそれを自分の心にしまっておかなくてはならない。うっかり身近な者やお気に入りの者にもらしてしまうと、直接君主に意見を述べる者がいなくなってしまう。

リーダーの耳には、組織のメンバーに関する様々な情報が入ってくるもの。それらを身近な者に漏らせば、組織内にもいずれ知れ渡ってしまいます。
「口の軽いリーダーだ」と思われ、直接意見などを言う者がいなくなるでしょう。真偽が不確かなものであればなおさらです。
リーダーに直接物申さず、まずその身近な人に意見を伝える者も出てきて、正確な情報がリーダーのもとに届かなくなる恐れがあります。

2.臣下の者に賞罰を与える場合は、君主が自分の意思で行なわなくてはならない。周囲の者が褒めたり非難したりするのを待ってから行なっていると、賞罰を与える権限が君主から周囲の者に移ってしまう。

「皆が褒めるから」「皆が非難するから」では、賞罰の基準もあいまいになり、メンバーのモチベーションにも影響します。リーダー自身がしっかりとした基準を持ち、そして評価する「目」を養っておかなければならないのです。

3.君主は自分がすべき政治上の役割を厭わないべきである。労をいとい、それを大臣などに任せてしまうと、政治上の権限も地位もその大臣に移ってしまう。

リーダーには自分でなすべき役割があります。しかしそれを部下に任せてしまうと、「あの人はこの件にはノータッチだ」と、メンバーに思われ、実質的な決裁権も奪われる恐れがあるため、役割を全うすることが大切なのです。

目先にとらわれず、成果を上げるために何が重要なのか

伝統や慣例を尊重する風土は、どの組織にも多かれ少なかれ存在します。前例通りならば失敗が少ないということもありますが、変化を恐れている場合も少なくありません。
「南面」という篇には、次のように記されています。

「治を知らざる者は必ず曰はむ、古を変ずること無く、常を易ふること毋かれ、と。変ずると変ぜざるとは、聖人は聴かず、治を正すのみ」

政治を知らない者は、古いしきたりを変えるな、習わしを改めるなと言う。しかし変えねばならぬとか、変えてはならぬとか、賢人はそのようなことを問題にはしていない。問題にしているのはどうすれば正しい政治ができるかだ、ということです。
新しいアクションがあると、それに反発や抵抗を示す人は少なからず存在します。
しかし大切なことは「どうすればより効率的かつ合理的に成果を出せるか」なのです。この点から議論を始めて、効率性や合理性を阻害する伝統や慣例は見直し、必要に応じて改めるようにしなければなりません。

どのような組織でも、上司と部下の関係がうまくいっていないと、思うような成果も出せないでしょう。
「用人」という篇では、以下のような箴言(しんげん)が見られます。

「明主は人臣の苦しむ所を除きて、人主の楽む所を立つ、上下の利、此よりも長なるは莫し」

名君は臣下の苦しみを取り除き、同時に君主にとってありがたいことにつながるようにする。上下とも利益になる道であり、これに勝るものはない、という内容です。
君主にとっては人々が君主や国のために尽力してくれることが喜びであり、人々が私欲のために権力を脅かすことが苦しみであるとし、臣下は能力に応じて職務を与えられることが喜びであり、一人で二人分の仕事をさせられることが苦しみであるということを示しています。

リーダーにとってはメンバーが懸命に働いてくれることは嬉しいことです。メンバーにとっても自分の能力が評価され、相応のポジションを与えられれば頑張れるでしょう。よく言われる「働きやすくやりがいがある職場」こそが、持続的な成果をあげるのです。
リーダーは組織全体や、個々のメンバーのことをよく把握し、仕事の向き不向きを見極め、正当に評価しなければなりません。そして業務の円滑な遂行を妨げる要因があれば、それを取り除くように努めるのです。これは組織づくりの基本とも言えるでしょう。

また、リーダーには様々なタイプの人がいます。
「八経」という篇では、君主のレベルを下、中、上に分類して、次のように記しています。

「下君は己の能を尽し、中君は人の力を尽し、上君は人の智を尽す」

何事も自分でやった方が早いと考え自分でやってしまい部下を頼らないのは下、トップダウンで部下に仕事をやらせるだけは中、部下が最大限知恵を尽くしパフォーマンスを発揮できるように環境を整えるのが最上のリーダーであると説いているのです。
何かを成し遂げるには、より多くの人の力や知恵が必要であり、優れたリーダーはそれをうまく引き出すことができるというのです。どんなに能力の高いリーダーであっても、一人の力量には限界があります。
「俺が俺が」タイプのリーダーは何でも自分ひとりでこなそうとします。これでは部下は育たず、思うような成果も出せないでしょう。

おわりに

『韓非子』には、「人間は本来弱いものである」という思想が貫かれています。だからこそ、法令や規則、そして人々をコントロールすることが必要だと説いています。
規則がなければ組織内の秩序は乱れます。逆に規則でがんじがらめだと窮屈な組織になってしまうでしょう。
大切なことは規則に基づいて、それをどう運用し、どうメンバーをコントロールしてゆくか、ということです。
時代を超えて、『韓非子』はそのことを私たちに教えてくれます。改めて『韓非子』を読むことで、自身のビジネスへのスタンスを見直す機会にしてみてはいかがでしょうか。

(記事提供元:株式会社プレジデント社 企画編集部)
※記事内の情報は、本記事執筆時点の情報に基づく内容となります。
※上記の個別の表現については、必ずしもみずほ銀行の見解を示すものではありません。

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