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名経営者の知恵に学ぶ~葛西敬之編~

掲載日:2022年10月3日事業戦略

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JR東海の葛西敬之名誉会長は、28年間に渡り同社の代表取締役を務め、不可能とされた「国鉄分割民営化」の改革を実現した「国鉄改革三人組」の一人です。
東京から大阪間を飛び交う航空機に対抗するため、新幹線の最高速度を時速50kmtも引き上げた新型車両「300系」を導入し、また、東海道新幹線品川駅の開業、リニア中央新幹線の実現にも尽力する等、生涯を通じて先進的な取り組みで時代を切り拓いてきました。
本稿では葛西の逸話から、「自身の意思を貫き、力強く企業を導く経営者の姿」を紐解きます。

「正しいこと」を信じ、実行する

誰もが不可能だと考える課題、一見常識はずれの事業を成功に導くためには、何が必要なのでしょうか。
葛西の生涯から読み解くに、それは、周囲の反発や既存の常識に囚われず、果敢に挑み続ける強固な胆力です。

葛西は「處事不可有心」(ことを処するには心あるべからず『宋名臣言行録』)の考えを重んじていました。
これは「物事を処置していく際には、損得や名誉等をあれこれ考える気持ちがあってはならない」「何かを成し遂げるにはそれが正しいかどうかだけを考えよ」という意味です。
この言葉からも見えるように、葛西が強い意志で大きな判断を下すことができたのは、常に「何が正しいか」を自身の判断基準にしていたからでした。

1940年、兵庫県明石市に葛西は生まれました。
幼少の頃より、中学校の国語・漢文の教師だった父から与謝蕪村や松尾芭蕉の俳句、論語の暗唱をさせられていたといいます。
家族の食卓では、文学だけでなく歴史や外交、時事問題にまで話題が広がり、討論会が繰り広げられたそう。
のちに葛西は、「物事の判断基準や、臆せずに自分の意見を言う姿勢は、こうした家庭環境で培われた」と振り返っています。

葛西が国鉄(日本国有鉄道)に入ろうと決めたのは、大学生時代でした。
落とした学生証を荻窪駅に受け取りに行った際、駅の助役から「東大の法学部なら、国鉄での出世がすごく早いよ」と勧められたことがきっかけだったといいます。

出世が早ければ将来は面白い仕事ができるに違いない。
そう考え、「他にやりたいことが見つかれば転職すればいいや」程度の気持ちで、国鉄への入社を決めたといいます。

ところが、入社して間もなく「ここは自分が一生過ごす場所ではない」との思いに駆られました。
国鉄は、葛西が入社した翌年から赤字に転落していったのです。

余裕がない状態でも組織内の危機感は薄く、職場の規律は大きく乱れていました。
葛西は静岡や仙台の鉄道管理局勤務となりましたが、そこも職務態度の悪い労働組合の組合員がのさばっていて、現場の管理者たちが苦しい立場に追いやられていたといいます。

真面目に働く現場の人たちを守り、国鉄を生き返らせるには何をすればいいのだろうか。
「何が正しいか」を判断基準にして葛西は考えました。

そして、「労組となれ合う本社の方針に抗うしかない。正しいことをやるためには妥協せずに筋を通すまでだ」と思い至ります。
この考えが、やがて「国鉄の再生には分割民営化しかない」という確信を胸に抱くことにつながるのです。
国鉄が「一生過ごす場所ではない」と考えていた葛西でしたが、一方で、目の前にある正しいことをやり切るという姿勢に、彼の人間性が表れているのでしょう。

国鉄の経営悪化における原因の一つが「労使関係の腐敗による組織秩序の崩壊」であることは間違いありませんでした。
その他にも「過剰な人員と人件費」「輸送手段の航空機や自動車へのシフト」「政府により押し付けられた赤字ローカル線」「先送りされた運賃改定」等の説があげられており、それらが複雑に絡み合いながら、国鉄を疲弊させていったといわれています。

葛西は仙台局総務部長のときに、現場にはびこる悪慣行(職場での飲酒やヤミ超勤、違法ストライキ等)をやめさせるために、信賞必罰を徹底するようになりました。
これに対して過激な組合員が扇動し、現場の管理者を取り囲んで反発・威嚇することもあったそうです。

葛西はのちに「仙台鉄道管理局での勤務は、私の鉄道人生のターニングポイントになった。組織の方針や価値観に囚われずに実態を見極め、自分が正しいと思うことをやる。この姿勢を貫くことで、私は自立した」と語っています。

徹底した合理主義、そして民営化へ

1981年4月、葛西は主幹の肩書とともに、4年ぶりに東京の国鉄本社に戻ってきました。
配属されたのは「経営計画室」。当時、国鉄の経営計画室は、重要な仕事のない閑職でした。
葛西の力を弱めたい組合が裏工作を行い、お金と権限のない部署に追いやったのです。

しかし、「国鉄を再生させるには、過去を切り離すしかない」との思いを強くしていた葛西の中では、「やるべきこと=分割民営化」が明確化していました。
巨大組織である国鉄の分割民営化は困難を極めると予想されましたが、閑職であるはずの経営計画室に「第二次臨時行政調査会(第二臨調)担当総裁室調査役」という兼務が付き、思いがけず事態は好転していくことになります。

葛西は、1965年に約46万人いた職員を、民営化の前年である1986年には私鉄並みの約27万人に減らす等、徹底した合理化を敢行しました。
また、民営化のためには地域分割も不可欠であると考えたため、東京の国電(大都市周辺で運転された、日本国有鉄道の近距離専用電車線)や東海道新幹線の利益で地方路線の赤字を埋めるための仕組みである「全国一律の運賃」にもメスを入れます。

葛西は「分割民営化」を、それまでの国鉄の腐敗・疲弊しきった体質から脱却するため、絶対的に必要な荒療治と考え、プロジェクトを推進していきました。

そして、1987年4月、ついに国鉄の分割民営化を実現します。
本州3社(東日本、東海、西日本)と島3社(北海道、九州、四国)に加え、貨物の1社を発足させたのです。これが、現在のJRとなりました。
当時を振り返り、葛西は「正しいと思うことを曲げずにいれば、道は開ける」「最終答申は、私たちが委員会の事務局と作り上げてきた構想に沿った形になった。国鉄上層部の人事も刷新され、苦しい戦いを強いられてきた私は、突然視界が開けた」と述べています。

未来を切り拓いた「強い意志」

その後、葛西は国鉄分割民営化により発足した本州3社のうちの1社、JR東海の取締役総合企画本部長に着任。
そして、さっそく東海道新幹線の「疲弊」と「陳腐化」に注目します。それが顕著に表れていたのが、同社が保有する老朽化した車体です。

東海道新幹線の車体は1964年の開業以来、23年間も酷使され、その間技術的な進化もほとんどありませんでした。
ちょうど葛西は、1987年の末にフランスの誇る高速鉄道TGVに乗車する機会があり、その際、同行したエンジニアに「世界最速時速270 kmtは新幹線では難しいのか」と質問したといいます。
するとエンジニアは「東海道新幹線の場合は騒音・振動対策や耐震性強化が必要なうえに、カーブもTGVよりきついが、時速220 kmtから時速270 kmtにはあげられる」と即答したそうです。
葛西は、借金をしてでも東海道新幹線の改善・強化投資を行うべきだと考え、帰国早々、「新幹線速度向上プロジェクト委員会」を立ちあげることになります。

こうして誕生したのが、「新幹線300系電車(のぞみ)」です。
「300系」は、それまでの新幹線の速度を一層高速化した車両で、当時、時速220kmtだった新幹線の最高速度を時速50kmtも引きあげ、時速270kmtで走行できました。
そして、3時間かかっていた東京~新大阪間の移動時間を2時間30分に短縮することになるのです。

また、葛西が音頭を取り、食堂車の廃止も進めました。
「旅情がなくなる」等、反対の声もありましたが、葛西は「食堂車の代わりに座席を備えて、もっと多くのお客さんが乗れるようにした方がずっと良い」と考えました。
その結果、新幹線が大量輸送に特化することにもつながったのです。

「何かを成し遂げるにはそれが正しいかどうかだけを考えよ」葛西の考えはぶれることなく、更なる進展を遂げます。
“正しいこと”は人それぞれ異なりますが、葛西は会社の業績改善、発展を見据え、判断基準にしていました。その実現に資することであれば、彼にとっては正しいことであったのです。
1995年に社長に就任すると、1997年に東証一部(当時)上場、2003年には東海道新幹線品川駅の開業を実現しました。

2004年、会長に就任した葛西が、次の50年を展望し新たな目標として定めたのが、リニア中央新幹線で東京~名古屋~大阪をつなぐ大プロジェクトでした。

プロジェクトが結実した姿を葛西が見ることは叶いませんでしたが、彼の強い意志は、確実に後世へと引き継がれており、2027年の開業を目指して、この計画は今も進み続けているのです。

おわりに

「正しい」という言葉は、ときに独善的にもなり得るやっかいなワードです。
もちろん、「一人よがりな暴論」を「正しい」と信じてしまっては、経営者失格でしょう。

葛西は「今のような混迷期に求められるリーダーとは、現実から目を逸らさず、問題の本質を直視し、いかなる困難にも抜本的な解決策を立て、実行する人物だ」という言葉を遺しています。

葛西が信じた「正しい」こととは、冷静な観察眼と、分析力、実行力に裏付けられたものです。
そのことが彼の言動から伝わるからこそ、多くの人が動かされ、結果として、大きな改革の実現に至ったのではないでしょうか。

(記事提供元:株式会社プレジデント社 企画編集部)
※上記の個別の表現については、必ずしもみずほ銀行の見解を示すものではありません。

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