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名経営者の知恵に学ぶ~小倉昌男編~

掲載日:2022年8月1日事業戦略

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クロネコヤマトの生みの親、ヤマト運輸 元会長・小倉昌男。宅急便ビジネスでの功績が広く知られていますが、実は、障がい者支援の領域に“経営”の概念を持ち込み、変革をもたらした第一人者でもあるのです。
現代における企業のダイバーシティ経営に通じる、障がい者支援への取り組みを、いかにして実現していたのか。本稿では、「宅急便ビジネスの父」のもう一つの顔から、経営者が得るべき知恵を紐解きます。

真のノーマライゼーションとは何か

仕事において、「人の役に立ちたい」という気持ちがモチベーションになることは少なくないでしょう。
他人のニーズを満たすために努力し、それが成果として表れ、正当な評価を受けたときの充実感や達成感は、その後の仕事における大きな励みになります。
そして、この実感とともに受け取る報酬は、何事にも代えがたい喜びとなるはずです。

しかし、かつて障がい者の方が働く現場では、そのような喜びが感じづらいという実態がありました。
なぜなら彼らの働く共同作業所では、誰かのために働き、その対価を得るという考えが浸透していなかったからです。

この状況を変えるために力を注いだ人物が、ヤマト運輸(現ヤマトホールディングス)元会長である、小倉昌男でした。

宅急便ビジネスにおける功績の陰に隠れ、あまり世間には知られていませんが、彼は障がい者支援の領域に「経営」というコンセプトを持ち込み、障がい者の労働環境に変革をもたらした一人なのです。

小倉は「ハンディキャップのある人たちになんとか手を差し伸べたい」と、1993年9月にヤマト福祉財団を設立。本格的に支援を開始したのは、ヤマト運輸の会長職を離れた1995年からでした。
彼が障がい者支援にどれほど本気だったのかは、保有するヤマト運輸300万株のうち200万株を寄付して基金とし、その後、残り100万株も余すことなく寄付したという行動からも、伺い知ることができるでしょう。

そして、財団の活動を通して、障がい者たちが働く共同作業所の待遇を知った小倉は愕然としました。
月曜日から金曜日、朝から晩まで働いても、月給はたったの1万円だったからです。

これでは、障がい者が自立することは到底不可能でしょう。
共同作業所で働く障がい者の親たちからは、「この子を残しては死ねません。たった1日でいいから、私は子供より長生きしたい」といった話が聞こえてきたといいます。

なぜ、このような状態がまかり通っているのか。小倉は、「福祉的就労」という働き方が孕む、内向性に問題があると考えました。

福祉的就労とは、心身に障がいがあるため一般就労の難しい方が、福祉サービスを受けながら働く就労形態です。
一般就労よりも負担の軽い作業を短い時間担当することが多く、その分、就労者の報酬が低くなることは仕方がない、という考えが常識になっていました。

つまり、障がい者の労働市場が、日本の市場経済と乖離した独自の経済圏とみなされていたのです。
結果として、共同作業所で働く障がい者は、外の市場経済から認められるような価値生産ができない状態となっていました。

小倉は、ここにメスを入れるべく動きます。

「日本は民主主義の国です。みんな平等にチャンスがあってしかるべきです。本来ならば、障がい者の方たちも健常者並みの月給をもらい、でき得る限り、自分の給与で生活できるような仕組みがなければおかしいのです。それこそが、真のノーマライゼーションであり、『福祉』のはずです」

ノーマライゼーションとは、1950年代に北欧諸国から始まった社会福祉をめぐる社会理念の一つで、障がい者も健常者と同様の生活ができるように支援するべき、という考え方を指します。

誤解してはいけないのは、小倉は共同作業所を運営している人たちを批判している訳ではありませんでした。
障がい者を助けたいと熱意を持って取り組んでいる彼らのような存在は、大切であると認めていました。

ただ、「共同作業所の方々に決定的に欠けているもの」があり、それが「作業所を『経営する』という概念」だと指摘しています。

「障がい者施設で作られたクッキーには『これは障がい者が焼いたものです』と入っています。けれども、モノを売るときにそんな言葉は意味がありません。お涙頂戴で障がい者のために慈善バザーでモノを売る発想から脱却できていない。バザーでならばいざ知らず、一般市場では、まず売り物にならないのです。一般市場で必要なのは、お涙頂戴ではなく、消費者である買い手が欲しいものを作ることです」

痛烈でありながら、「サービスが先、利益は後」を徹底した小倉らしい考え方でした。
しかし、長らく共同作業所を運営してきた人たちにとって、経営の概念によって障がい者労働と市場経済を接続する、という小倉の考えを理解するのは困難だったに違いありません。そこで、小倉は「パワーアップセミナー」を始めるのです。

人の役に立つことで幸せを得る

「パワーアップセミナー」は、経営のプロである小倉による経営セミナーです。
彼の基調講演から始まり、障がい者福祉やパン屋の経営、法律問題の講義などが行われました。

「経営の基本は、作ることよりも売ることである」「人件費を下げるのではなく、収入を増やすことを考えなければならない」という基本メッセージから、マーケティングやモチベーションについてなど、内容の充実した2泊3日のセミナーを、年間およそ10ヵ所、1回あたり30~40名規模で実施しました。

セミナー中は、小倉も受講者と同じ宿に泊まり、同じテーブルで食事をしたといいますから、彼の熱の入れようは相当なものだったのだと分かります。

さらに、小倉は『スワンベーカリー』という障がい者のための就業施設も用意しました。
この店は、『アンデルセン』や『リトルマーメイド』などで名の知られる、タカキベーカリーの高木誠一氏に、小倉が直接依頼して立ち上げたパン屋です。
同社が開発した冷凍パン生地を使用することで、誰でもパンをおいしく焼けることを知り、協力を仰いだといいます。

小倉はこの店において、一般消費者を対象としたマーケットで売れる“商品”をつくり出し、従業員に月給10万円以上支払うことを明言しました。
福祉関係者からは「夢のような話」「世界が違う」と否定的な声が上がったそうですが、小倉は折れることなく取り組み、やがて、月給10万円支給という目標を実現したのでした。
これは、小倉が掲げた理想に向けた、大きな一歩となりました。

「『スワンベーカリーで働くようになり、月給10万円をもらうようになって、顔つきが変わった』と、親御さんに喜ばれました。今までめったに笑わなかった子が、スワンで働くようになって終始笑顔を浮かべている、と」
小倉はそう語っています。

共同作業所からの帰りに、給料で親御さんに食事をごちそうするつもりなのだと、嬉しそうに話している障がい者の方を目にしたこともあったそうです。

「人間にとって、自分のためではなく、人の役に立つことが幸せの源泉であり、人のために何かをしてあげる、もしくはしてあげられるようになることが幸せだ」という信念を持つ小倉にとって、この光景は、筆舌に尽くしがたいほど嬉しいものだったのではないでしょうか。

1988年6月に第1号店がオープンしたスワンベーカリーは、2022年では直営5店舗、フランチャイズ店23店舗にまで広がり、およそ350名以上の障がい者の方が、経済的な自立と社会参加を果たしています。

この成果は、福祉的就労が抱える課題の全体から見れば、小さな一歩だったかもしれません。しかし、福祉の分野にはびこっていた「障がい者は低賃金でもやむを得ない」という固定観念を崩し、真のノーマライゼーション実現に寄与した観点からは、まさしく大きな偉業であるといえるはずです。

おわりに

人は労働を通じて社会と接続し、自分ではない誰かの役に立つことができる。その貢献によって大きな喜びを得るのだと、小倉昌男は強く信じていました。
そして、企業に求められるのは、従業員の置かれた様々な事情に応じ、働く方一人ひとりがやりがいを追求できる環境を作ること。それこそが、ダイバーシティ実現の真髄なのではないでしょうか。

(記事提供元:株式会社プレジデント社 企画編集部)
※上記の個別の表現については、必ずしもみずほ銀行の見解を示すものではありません。

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