みずほ経済EXPRESS

160円台が「円安すぎ」ではない理由

「期待インフレ上昇」という新たな構造変化

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交錯する円安要因

円安に歯止めがかからない。本稿執筆時点のドル円レートは1ドル=163円台後半と、約40年ぶりの水準まで円安が進行している(図表1)。その背景として、原油高を受けた米利上げ観測の台頭や、本邦貿易収支の悪化懸念、財政の健全性に対する市場の不安など、様々な要因が指摘されている。

ただ、これらの要因は同時期に発生しており、実際に「どの要因」が「どの程度」材料視されているのかを見極めるのは容易ではない。そこで本稿では、ドル円に影響を与える要因を統計的手法により客観的に抽出し、円安の背景を整理する。加えて、その結果をもとに、ファンダメンタルズ面からみたドル円の推計値を試算する。

具体的には、機械学習の手法であるLASSO回帰を用いる。LASSO回帰とは、多数の説明変数の候補のなかから有用な変数を自動的に選択し、予測モデルを構築する手法(図表2)である。予測に役立たない変数はモデルから除外されるため、モデルが複雑になることを抑制し、シンプルで解釈しやすいモデルを構築することができる。ただし、LASSO回帰は予測性能を重視した統計的手法であり、選択された変数が経済理論上の因果関係やメカニズムを直接示すものではない点には留意が必要である。

図表1 ドル円レート

図表1のグラフ
  • (出所)LSEGより、みずほ総合研究所調査部作成

図表2 LASSO回帰の概念図

図表2の概念図
  • (出所)みずほ総合研究所調査部作成

為替市場の投資家や実需筋の行動から、ドル円の動きを説明

本稿で候補にあげた説明変数の一覧は図表3のとおりである1。①~⑤は投資家の行動を説明する変数、⑥は実需筋による円需給を表す変数だ。為替市場の参加者は、大きく投資家と実需筋に分けられる。投資家は、為替変動そのものによる収益や、外貨建て資産への投資で得られる収益を目的として為替取引を行う。一方、実需筋は主に貿易や海外事業のために外貨調達や外貨の円転を行う企業であり、為替水準にかかわらず取引を行う点に特徴がある。

投資家の行動を説明する変数のうち、①~④は日米実質金利差を構成する要素である。一般に、投資家は実質的な運用利回りを重視する。例えば、日本よりも米国の実質金利が高ければ、円を売ってドル建て資産を購入する動きが強まるため、日米実質金利差の拡大は円安要因になる。なお、本稿ではLASSO回帰によって実質金利差のどの構成要素が重要かを判断できるよう、米国・日本それぞれの2年金利と期待インフレ率を個別の説明変数の候補とした。

また、⑤は市場の財政懸念を表すと考えられる変数である。市場で積極財政が意識された局面における超長期金利の動きを捉えるため、日本の30年国債利回りと10年国債利回りのスプレッドに、2025年10月以降を示すダミー変数を乗じた交差項を用いた。

実需筋の円需給環境を表す⑥では、経常収支と対外直接投資のデータを用い、実際に為替取引を伴うと考えられる値を計算した(図表4)。日本の経常収支は黒字が続いており、これは一般的に円高要因とされる。しかし、黒字の大半を占める第一次所得収支のうち一定割合は海外で再投資され、ドル売り・円買いを伴わず円高要因にならないため、この部分を円需給の計算から控除した。一方、対外直接投資は海外事業に必要な外貨を調達するために円売り・外貨買いを伴うことから、円安要因として円需給に反映した。図表4をみると、経常収支は黒字が拡大し続けているものの、上記の調整を加味した円需給の計算値は経常黒字幅を大きく下回り、2011年頃を境に円高要因から円安要因へと転じている。

図表3 説明変数の候補と選択結果

図表3の表
  • (注)期待インフレ率は日米ともブレークイーブンインフレ率(10年)を使用
  • (出所)みずほ総合研究所調査部作成

図表4 実需筋の円需給

図表4のグラフ
  • (注)対外直接投資は対外直接投資-対内直接投資のネットベース
  • (出所)LSEGより、みずほ総合研究所調査部作成

足元のドル円の推計値は1ドル=162円

LASSO回帰の結果、候補とした変数のうち、米2年金利、日本期待インフレ率、実需の3変数が選択された(図表3)。一方、日本2年金利、米国期待インフレ率、財政懸念の変数は選択されなかった2

この変数選択結果は、筆者がこれまでに行ってきた分析とも整合的である。例えば東深澤(2025)では、ドル円の米金利に対する感応度が、円金利に対する感応度を大きく上回ることを示していた。これは、本稿で米2年金利が選択される一方、日本2年金利が選択されなかったことと整合する。また東深澤(2026)では、日本の期待インフレ率の上昇が円安をもたらす一因になっている可能性を指摘しており、本稿においてそうした見方が統計的にも確認された。さらに東深澤ほか(2024)では、実需の面から、①ウクライナ危機を発端とした資源高によって貿易赤字が大幅に拡大したこと、②日本企業の海外進出が続いたこと、③デジタル赤字の増加などが2022年以降の円安に一定程度寄与したことを示していた。

本稿で選択した変数とドル円との関係を推計し、実際のデータを当てはめると、ドル円の推計値は足元で1ドル=162円となる(図表5)。実勢値と概ね一致しており、足元のドル円はファンダメンタルズに概ね沿った水準にあることが示唆される。また、過去に遡って推計値と実績値を比較すると、一時的に乖離する局面はあるものの、連動性は相応に高く、本稿で選択した3変数が近年のドル円を説明するうえで重要な要因であることが確認できる。

図表5 ドル円の実勢値と推計値

図表5のグラフ
  • (出所)LSEGより、みずほ総合研究所調査部作成

構造的円安は「デフレ脱却」の副産物

最後に、本稿の推計結果を用いて、2022年以降の円安について要因ごとの寄与度分解を行った。図表6をみると、米国の急速な利上げに加え、資源高等を受けた実需筋による円需給の悪化が円安に寄与している。さらに、日本の期待インフレ率の上昇が円安を説明するうえで極めて重要な要因であることも確認できる。

日本では長らくデフレマインドが定着し、期待インフレ率も極めて低い水準で推移してきた。しかし、物価と賃金の上昇が定着するなかで期待インフレ率は着実に高まっており、海外とのインフレ格差縮小などを通じて円安圧力を生んだと考えられる。近年、対米ドルだけでなくユーロや豪ドルをはじめ、幅広い通貨に対して円安が進行した事実とも整合的だ。こうした視点に立てば、近年の円安は、長年続いたデフレからインフレへの移行に伴って期待インフレ率が正常化する過程で生じた、構造変化の帰結とみることもできる。

足元の期待インフレ率は2%程度(図表7)と、日本銀行の物価安定目標に概ね見合う水準まで高まっている。こうした期待インフレ率が定着するのであれば、ドル円はデフレが続いた2010年代までと比較して、円安水準を維持する可能性が高い。本試算が示す1ドル=162円という推計値は、足元の円安が一時的な行き過ぎではなく、新たなマクロ環境に整合的な水準である可能性を示唆している。

図表6 2022年以降の円安要因

図表6のグラフ
  • (出所)LSEGより、みずほ総合研究所調査部作成

図表7 日本の期待インフレ率

図表7のグラフ
  • (出所)LSEGより、みずほ総合研究所調査部作成

[参考文献]

東深澤武史ほか(2024)「円安が進むドル円の再評価~緩やかな円高予想も、日米金利や円需給を巡る不確実性は円安リスクに」、みずほリサーチ&テクノロジーズ『みずほリポート』、2024年4月23日

東深澤武史(2025)「2026年のドル円展望~日銀利上げも円高ならず、年後半は米金利上昇で円安再燃」、みずほリサーチ&テクノロジーズ『Mizuho RT EXPRESS』、2025年12月29日

東深澤武史(2026)「それでもドル円は160円を目指す~既往の円安はインフレ常態化を織り込む動きも」、みずほ総合研究所『みずほ経済 EXPRESS』、2026年5月27日

  1. 被説明変数をドル円(対数値)、説明変数を①米2年金利、②日本2年金利、③米期待インフレ率、④日本期待インフレ率、⑤市場の財政懸念を示すと考えられる変数、⑥実需筋の円需給の計算値として、LASSO回帰(5-foldクロスバリデーション、1SEルール)により変数選択を実施した。その後、選択された変数(①、④、⑥)を用いて通常の最小二乗法(OLS)により推計を行った。OLSの推計では、いずれの説明変数も1%水準で統計的に有意となり、自由度修正済み決定係数(R²)は0.94であった。なお、③・④は、日米ともブレークイーブンインフレ率(10年)を使用した。⑤は、(日本30年金利-日本10年金利)×積極財政ダミー(2025年10月以降に1、それ以外を0)を、市場の財政懸念を反映すると考えられる変数として用いた。もっとも、こうしたイールドスプレッドは必ずしも財政リスクプレミアムのみを反映するわけではない点には留意されたい。⑥は、為替取引のある経常収支=(経常収支-直絵節投資収益のうち再投資収益-証券投資収益/2)、為替取引のある対外直接投資(ネット)=(対外直接投資-収益の再投資)-(対内直接投資-収益の再投資)として、為替取引を伴うと考えられる経常収支及び対外直接投資(ネット)を計算。両者を合計したものを、データが取得可能な1996年以降で累積し、当期の名目GDPで除した値を、実需筋の円需給の計算値として使用した。
  2. 市場の財政懸念を表すと考えられる変数が選択されなかったことは、少なくとも本試算で用いた候補のなかで、ドル円の予測に対する同変数の有用度が小さかったことを示している。ただし、市場の財政に対する懸念は、積極財政による需要の押し上げや、日銀のいわゆるビハインド・ザ・カーブ懸念を通じて、日本の期待インフレ率の上昇として現れている可能性もある。本稿の結果だけをもとに、市場の財政懸念がドル円に全く影響していないと結論づけることはできないだろう。

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